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名古屋地方裁判所 昭和35年(ワ)4号 判決 1961年11月08日

原告

江川俊一

被告

堀一三

外一名

主文

被告等は原告に対し連帯して金九万円およびこれに対する昭和三十五年一月九日から右金員の支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告等の連帯負担とする。

この判決中原告勝訴の部分に限り、原告において被告等に対しそれぞれ金三万円の担保を供するときはその被告に対し仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告等は原告に対し連帯して金三十万四千五百十円およびこれに対する本件訴状送達の翌日から右金員の支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

一、被告堀一三は家具店を経営するものであり、被告堀末成は被告一三に雇われ同家具店の営業に従事するものである。

二、原告は、昭和三十四年九月四日午後一時半頃自動二輪車を運転して名古屋市瑞穂区鍵田町二丁目十四番地先路上を時速約二十ないし二十五粁で西進し、同所附近の十字路へさしかかつたときその十字路の南方から被告末成の運転する小型四輪貨物自動車が通路右寄りを時速四十粁をこえる速度で北に向つて進行してくるのを認め、直ちに急制動をかけ停車したが、右交差点のほぼ中央の地点で被告末成の運転する右貨物自動車が停車していた原告の自動二輪車の前輪泥除け付近に、その右前部を衝突させたため原告は乗車していた自動二輪車もろとも路上に転倒し、頭頂部に治療二週間を要する挫創を受けた。右十字路の南東角には大きな家が在り、左右の見とおしがきかない交差点であつたのであるから被告末成としては、このような交差点を通過するときは、前方注視のうえ除行する注意義務があるのにかかわらず、これを怠り漫然高速度でこれを直進通過しようとしたため、原告の自動二輪車に衝突するに至つたものであり、しかも当時被告末成の運転する小型四輪貨物自動車の前ブレーキが故障しており、その効きが悪かつた。本件事故の発生は被告末成の右過失に基因するものである。

三、しかして右事故当日被告末成は被告一三方の同僚店員二名と共に同被告の右営業の必要から本件事故現場に程近い中野木工店に商品を引取りに行くため右小型四輪貨物自動車を運転していたのであるから被告一三は被告末成の使用者として右事故により原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

仮に被告等の主張するように本件事故当日は、堀家具店の公休日であり、被告末成が私用のために右貨物自動車を運転していたとしても右は被告一三の被用者でありかつ、日頃被告一三所有の右貨物自動車を同被告の右営業のため運転している被告末成が、その運転中に惹起した衝突事故であるから、被告一三の右事業の執行につきなされたものというべきであり、同被告は使用者として右事故により原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

四、原告は本件事故により、次のような損害を蒙つた。

(1) 前記傷害の治療のため、高木医院および名大付属病院に対し薬代その他の治療費として合計金八千百八十円を支払つた。

(2) 本件衝突により、原告の乗つていた自動二輪車が破損し、その修理には金一万五千三百三十円を要する。

(3) 原告は本件事故当時てんぷら類の販売業を営んでおり、これにより毎月平均金四万円の収益を得ていたが、前記傷害の治療期間中は働くことができず原告の妻が代つて働いたが、それでもなお昭和三十四年九月四日から同年十二月末日までの間に、合計金八万一千円の営業上の損失を受けた。

(4) 原告は前記傷害により多大な肉体的精神的苦痛を受けておりそれを金銭で慰謝するとすれば金二十万円が相当である。

五、そこで原告は被告等に対し連帯して前記(1)ないし(4)の損害額合計金三十万四千五百十円およびこれに対する本件不法行為のなされた日以後の日である本件訴状送達の翌日から右金員の支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴におよんだ次第である。と陳述した。

被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、

請求原因第一項および同第二項のうち、原告主張の日時、場所で原告の運転する自動二輪車と被告末成の運転する小型四輪貨物自動車とが衝突したことは認めるが、その余の事実は全部否認する。

一、被告末成には本件事故につき過失はない。すなわち本件事故現場のような交通整理の行われていない交差点に入る場合は、右方の通路から交差点に入る原告は左方から交差点に入る被告末成の小型四輪貨物自動車の進行を妨げてはならない義務があるにもかかわらず、これを怠り、しかも高速度で交差点に進入したため、危険を知つた原告においてはその運転する自動二輪車のブレーキを操作してもなおスリップして、被告末成の運転する右自動車に自ら衝突したものであり、本件事故の原因は、もつぱら原告の右過失にある。

二、次に、本件事故のあつた昭和三十四年九月四日(第一金曜日)は、被告一三の関係する家具店営業者組合所定の公休日であり当日は被告末成も一切の業務から解放されていた。そして被告一三は従来から店員に対し右自動車を私用に使うことを堅く禁止していたのであるが、当日被告一三が不在であつたところから被告末成が自分の遊興のため、無断で右自動車を持ち出して運転していたのであつて、被告一三の業務の執行とは全然関係がないから同被告に対する本訴請求は失当であると述べ、

三、なお抗弁として、仮に本件事故発生について被告末成に過失があるとしても原告にも前述のような過失があるから、過失相殺されるべきであると陳述した。(証拠省略)

理由

一、原告主張の日時、場所で原告の運転する自動二輪車と被告末成の運転する小型四輪貨物自動車が衝突したことは当事者間に争がない。

二、被告等は本件衝突事故について被告末成には過失がないと主張するので、まずこの点を判断する。

成立に争のない甲第六号証の一ないし五、同第七、八号証の各記載、証人林福治、同堀次男の各証言、原告本人および被告本人堀末成の各尋問の結果(ただしいずれも後記措信しない部分を除く)を綜合すれば、本件衝突事故の現場は幅員約八メートルの東西に通ずる道路と、幅員約八メートルの南北に通ずる通路とが十字に交わる交差点であるが、その四角に人家が存在するため左右の通路に対する見とおしが悪く、かつ交通整理の行われていない交差点であること、原告が自動二輪車を運転して当時右東西に通ずる道路の中央やや左側を時速約二十五粁で西進して右交差点を直進通過するため同一速度のまゝ右交差点にさしかかり、一方被告末成の運転する小型四輪貨物自動車も殆んど同時に南北に通ずる道路の中央やや右寄りを時速約三十五粁で北進して右交差点を直進通過するため同一速度のまま右交差点にさしかかつたのであるが両者共に安全に前叙交差点を通過できるものと軽信し、減速、徐行することなく漫然従前の速度のまま同所を直進通過しようとしたため、被告末成において右交差点の直前で、東方から右交差点に進入しつつあつた原告の自動二輪車を直線距離約十一米の地点においてはじめて発見し、驚ろいて直ちに急停車の措置をとり、原告においても同様の措置をとつたが及ばず、遂に両者共余勢を駆つて、同交差点のほぼ中央の地点で被告末成の運転する小型四輪貨物自動車はその右前部フエンダーを原告の運転する自動二輪車の前部へ衝突させ原告をその運転する自動二輪車と共に路上へ転倒させ、なお五・五米進んではじめて停車することができたこと、および右小型四輪貨物自動車の前輪ブレーキに故障があり、その効きが悪かつたことが認められる。右認定に反する前掲甲第七、八号証の各記載、証人日比野直正の証言、原告本人被告本人堀一三、同堀末成の各尋問の結果は信用することができず、他に叙上認定を覆えすにたる証拠はない。

してみると被告末成には(一)本件事故現場のような左右の道路に対する見とおしが悪く、かつ交通整理の行われていない交差点を通過する場合におけるところの何時でも停車できる程度に減速徐行し、左右の道路の交通の安全を確認したうえ進行する注意義務(道路交通取締法施行令第二十九条第一項参照)があるのに、これを怠つて減速徐行をすることなく漫然と従前の時速約三十五粁の速度で進行を継続した点に過失があり、さらに(二)整備不良の車輛を運転してはならない義務(道路交通取締法第七条第二項第一号参照)があるのに、ブレーキに故障のある小型四輪貨物自動車を運転した点にも過失があるわけであるが、他方原告にも前叙のとおり被告末成の(一)の過失と同様の過失がある。

なお、被告等は、右方の道路から交差点に入つた原告の運転する自動二輪車は、左方から交差点に入つた被告末成の小型四輪貨物自動車に進路を譲らなければならない義務があるのに、原告がこれを怠つて交差点を直進通過しようとした過失がある旨主張するので按ずるに、道路交通取締法第十七条第二項に定めるいわゆる「交差点左方優先」は前叙「交差点徐行義務」と共に交差点において交錯し、事故が発生するのを防止するための義務規定であるが、後者がまだ相手方の車輛の有無およびその進路が判明しない場合においてもなお発生する義務であるのに反し、前者は双方の車輛の存在もその方向も判明し、かつ相手の車輛を左に見る場合の義務である点に相違があり、なお、当然のことながら相手の車輛に進路を譲ることが可能な場合にはじめて課せらる義務である。しかるに本件衝突事故において、原告が被告末成の運転する小型四輪貨物自動車を発見したときには時すでに遅く、これに進路を譲ることの全く不可能な状態に立ち至つていたことは叙上認定のとおりであつて、これを要するに原告には右の過失のあつたことは認められない。しかして、叙上認定の原告の過失にもかかわらず本件衝突事故につき存する被告末成の前叙過失による責任はこれを免れることができないことは明らかである。

三、次に被告末成の本件自動車運転が被告一三の事業の執行についてなされたものであるかどうかいいかえると、被告一三が本件事故により原告が蒙つた損害を賠償すべき義務があるかどうかについて判断する。  本件事故当時被告一三が家具店を経営し、被告末成をその店員として使用していたことは当事者間に争がない。

成立に争のない甲第七号証および被告一三の尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一号証の各記載、証人日比野直正の証言、被告本人堀一三、同堀末成の各尋問の結果によると被告一三の経営する「堀家具店」では営業以外の用件ことに私用のため自動車を使うことが禁止されていたこと、本件小型四輪貨物自動車は被告一三の所有であり同被告において常日頃前叙営業のために使用していたものであるが、右自動車の鍵は二個ありそのうち一個は被告一三において常時これを所得しており、他の一個は予備として同被告専用の本箱の抽に入れて保管されていたこと、本件事故のあつた昭和三十四年九月四日(第一金曜日)は被告一三の加盟する名古屋南部家具連合会の定める公休日であり、堀家具店も営業を休んでいたが、当日被告一三が外出不在であつたところから(ただし同被告の妻は在宅していた)被告末成が無断で前叙の予備の鍵を持出しこれを使用して本件小型四輪貨物自動車を運転し、同被告においてその私用のため前叙自動車を運転していることにつき何ら疑念をさしはさまない同家具店の同僚店員二名を同乗させて映画などに行く途中、本件事故を惹起したものであることが認められ他に叙上認定を左右するに足る証拠はない。したがつて被告末成の前叙自動車の運転は全く同被告の私用のためであつたことが明らかである。

しかしながら被告本人堀末成の尋問の結果によると、同被告は被告一三の異母弟であるが形式上住込みの店員としてこれまで働いているものであることおよび被告末成がかねてから前叙自動車の運転資格を有し右営業のためと前叙自動車の運転はもつぱら同被告においてなしていたことが認められ、以上認定の事実と弁論の全趣旨を総合すると、被告末成は本件事故当日以外にもこれまで前叙予備の鍵を使用して前叙自動車を私用のために運転しており、被告一三においてこれを黙認していたことが窺われる。右認定に反する被告本人堀一三、同堀末成の各尋問の結果は信用しない。しかして、前叙のとおり被告末成は被告一三の被用者として同被告の前叙営業のため常日頃前叙自動車の運転に従事する者であり、右自動車は被告一三の所有で同家具店の営業用に使用されている事輛であり(前掲甲第六号証の四によると右トラツクには「堀家具店」なる文字が横書きされていることが認められる)本件事故当日右自動車に同乗していた他の二名は同家具店の同僚店員であるから、これを外形からみれば、本件事故当日における被告末成の前叙自動車の運転は、被告一三の営業のための運転と全く異るところはない。このような状況の下における同被告の運転は民法第七百十五条の適用に関しては被告一三の事業の執行と解するのが相当であるから、同被告は被告末成の過失によつて原告に生ぜしめた損害を賠償する義務がある。

四、そこで原告の損害額について判断する。

(1) 成立に争いない甲第一ないし第四号証の各記載と原告本人尋問の結果によると、原告は本件衝突事故により頭頂部に治療二週間を要する挫創を受け、その治療のため昭和三十四年九月四日から同月十八日まで高木医院へ通院し、同医院に対しレントゲン診断料等の治療費として金千四百七十円を支払い、次いでその後吐気頭痛等の後遺症が残つたため同年十一月十九日まで名大付属病院へ通院し同病院に対し薬代その他の治療費として金六千七百十円を支払つたため結局原告は治療費として右合計金八千百八十円を支出したことが認められる。

(2) 次に成立に争いない甲第五号証の記載と原告本人尋問の結果によれば本件事故当日原告の運転していた前叙自動二輪車は前叙衝突により、そのホーク、フエンダー等に損傷を受け、その修理のためには金一万五千三百三十円を要することが認められる。

(3) 次に証人江川かよ子の証言と原告本人尋問の結果によれば、本件事故当時原告は店員二名を使用して市場でてんぷらの製造、販売業を営み、毎月平均金四万円の収益を得ていたこと、原告が本件事故による頭頂部挫創のため昭和三十四年九月中は安静を保つ必要があり、その後も翌三十五年二月頃までは寝たり起きたりの状態で満足に働くことができず、已むなく原告の妻が原告に代つて右営業に従事することになつたが、なお事故のあつた昭和三十四年九月中の収益は従前の収益に比較してその五割以下に減少し、同年十月から十二月までの収益も従前の収益に比較してその七割以下に減少したこと、これに加えて原告の妻が原告に代つて前叙営業に従事しなければならなくなつたため、原告が同年九月から翌三十五年二月頃まで原告夫婦の子供を他に子守に預け、その謝礼として毎月金六千円を支払つたことが認められる。他に叙上認定を左右するに足る証拠はない。しかして前叙(3)のように夫の営業上の損失を最小限度に食い止めるためその妻が代つてその営業に従事することとし、そのために子供を自己の手許に置いて養育することができず、已むなくこれを子守に預けることは通常行われることであるから、右子守に対する謝礼金も右損失の防止との間に相当因果の関係の存する限り本件事故による営業上の損失に加えるべきものである。しかして、叙上認定の事情の下においては、右の因果の関係が存するものと解することができる。してみると原告は本件事故のあつた昭和三十四年九月四日から同年十二月末日までに少くとも合計金五万六千円の前叙営業上の得べかりし利益を失い,これに加えて、前叙子守に対する謝礼金の四ケ月分合計金二万四千円を支払い、結局同期間中に原告は右積極消極両損害合わせて金八万円の営業上の損失を受けたことになるわけである。

以上のとおり原告は本件事故により前叙(1)ないし(3)の合計金十万三千五百十円の物質的損害を蒙つたことが認められるが本件衝突事故の発生については叙上認定のとおり、原告にも交差点通過の際の除行をしなかつた過失があるから、これを被告等の損害賠償額を算定するに当り斟酌すると、被告等は右物質的損害のうち金六万円を原告に賠償すべきである。

(4) 最後に慰謝料についてみるに、叙上認定のとおり原告は本件事故当時まで店員二名を使用して、てんぷらの製造販売業を営み毎月約四万円の収益を得ていたこと、本件事故発生について原告にも過失があること、および原告本人尋問の結果によれば、原告の受けた頭頂部の傷害は約二週間で全治したがその後二年を経過してもまだときどき軽い吐気を催す程度の後遺症が残つたことが認められること。その他本件事故後における被告等と原告間に行われた示談交渉の経緯等弁論の全趣旨によつて認められる諸般の事情を考え合わせると、原告の受けた精神的苦痛は金三万円をもつて慰謝されるものと認める。

五、以上のとおりであるから被告等には結局原告の蒙つた物質的損害金六万円および精神的損害金三万円合計金九万円を賠償しなければならない義務があり、なお被告等の右損害賠償義務はいわゆる不真正連帯債務の関係に立つことは明らかである。

よつて原告の本訴請求は被告等に対し、連帯して叙上損害額金九万円およびこれに対する本件不法行為のなされた日以後の日であり、かつ本件訴状の被告等に送達された日の翌日であること記録上明白な昭和三十五年一月九日から右金員の支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容するが、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項但書、仮執行の宣言について同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川端浩)

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